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「THE BEE」(ロンドン・バージョン)

野田秀樹の「THE BEE」(ロンドン・バージョン及び日本語バージョン)をWOWOWで見ました。
日本語バージョンを先に流してくれたので、
ロンドン・バージョンが理解しやすかった。
最初は、「二つ続けてなんて、観られるかな・・・」と不安でしたが、
一気に観ました。
というのも、英語バージョンがものすごくよかったからです。
はっきり言って、英語版の圧勝。
野田自身、日本語バージョンを作るにあたり、
「ロンドン・バージョンのクォリティにどこまで迫れるか」と考えていたくらいですから、
ロンドン・バージョンの出来には満足していたのではないでしょうか。
野田自身の頭の中にあったものを、
ロンドンのスタッフ・キャストの人たちとワークショックを繰り返し、
アイルランド人の脚本家コリン・ティーバンとともに仕上げた英語バージョンの「THE BEE」は、
とにかく圧倒的なキャストの力量で、私たちをトリコにするのです。
たてこもり犯に家族を人質にとられてしまうサラリーマン役・イドに、キャサリン・ハンター。
ローレンス・オリヴィエ賞も受賞したという大女優にして、
シェイクスピア劇「ペリクリーズ」の演出を手がけたこともあるそうです。
演じて、演じさせて、という意味では
野田に通じるものが多いですね。
以前より、「赤鬼」(英語バージョン)への出演も熱望していたとか。
野田ワールドの理解者であり、仲間なのですね。
そのキャサリン・ハンター。
男性でも日本人でもないキャサリンが、ただひとつの共通点「人間」であることを武器に、
「まじめさ」「家族への思いやり」「攻められた人間の反逆」「人間の残虐性」
「非日常が日常になっていくことへの慣れ」などを、見事に表現するのです。
イドは見えない自分の家族を救うためにありとあらゆることをしながら、
気がつくとたてこもっている家の人間と擬似家族を形成するようになります。
とくにラスト近く、いわゆる「暴力の連鎖」の中で
自分の行為が結局は自分の家族を痛めつけていることに深く傷つきながら、
どこまでも止まれなくなる心情を、
怒りではなく、悲痛な使命感のようなものを全面に押し出して、静かに演じるところは圧巻。
何のセリフもない演技の繰り返しなのに、観るものの心を激しく揺さぶります。
彼女はセリフにも身体的な表現にもしっかりとした緩急があって、
感情の起伏を表情に出さず、淡々と流れていくイド役を、
アッと叫びたくなるほどしなやかかつ強靭なパフォーマンスで豊かに演じていきます。
女であることなど、逆に信じられなくなっていきます。
同じことが、野田秀樹にもいえる。
イドの家族を人質にしたたてこもり犯の、内縁の妻役を、野田が女装で演じます。
夜の仕事をしている蓮っ葉な元妻。
警察やイドからの「呼びかけ・説得」要求にも「あんな男、関係ない」と応じない。
しかし、
逆上したイドが彼女の家にたてこもり、彼女と小学生の子どもを人質にとったその時から、
彼女は愛する子どもを守るため、
イドに隷属していくのです。
そこにあるのは、「支配者」への恐怖。恐怖による盲従。
元妻役・野田秀樹は、
初めはイドを恐れて泣く泣く命令に従いますが、
そのうちイドの気持ちを先回りして動くようになり、
いつしかすすんで自分や息子を傷つけるまでになっていきます。
今の日本でよくニュースになる「監禁」「DV」といった事件に巻き込まれた女性たちが、
自分の生命を守るために「本能」が「意思」を停止させる過程を
リアルに再現していると感じました。
加害者の関係者でありながら、今は被害者の関係者が起こした犯罪の犠牲になっている元妻。
イドを中心に動いていく家の中で、彼女は次第にイドを「保護者」として認識するのです。
「私が反抗さえしなければ、この人はいい人でいてくれるのよ」とばかりに微笑みを滲ませる
その表情は、とても男が演じているとは思えない自然な色っぽさ。
最高に哀れな女そのものです。
この二人を支えるべく八面六臂の活躍をするのが、
主に刑事役・ドドヤマを演じるトニー・ベルと、主に子ども役をするグリン・プリチャード。
芸達者な二人の早変わりは、
役者が一瞬で違う人格を身につけられることを証明します。
刑事は刑事らしく、
子どもは子どもらしく、
マスコミはマスコミらしく。
あるときは深刻な刑事ドラマの一シーン、あるときは思いっきりドタバタ喜劇のよう。
観客の「固定観念」をうまく利用して登場人物をデフォルメ、
「あれ? 今、何の役やってるんだ?」とまったく思わせずに進行させるその力量は、
野田やキャサリンに勝るとも劣りません。
この4人によるあまりに完璧な芝居は、
世界中で評価されて当然でしょう。
イドが1970年代の日本人サラリーマンの設定であることなど、
どうでもよくなってくる。
これは、今の日本の話でもあるし、
きっと、今のイギリスの話でもあるのです。
これでもか、というほどのディテールで構築しながら、
そこに抽出されるのは、ドラマも表現も「本質」のみ。
心の叫び、体の痛み。
生々しい残酷シーンはひとつもないのに、
巧みな演劇的表現が効果的に駆使され、
観客の五感は死ぬほど研ぎ澄まされ、身を震わせるほどコワい。
そしてイドや犯人の妻とともに、その感覚もマヒしていく・・・。
「だから『暴力の連鎖』はいけないね、という一般論、社会論で
 この芝居を論じてほしくない。
 身近な自分の痛みとして感じてほしい」
という野田の気持ちは、きっと観客に通じたと思います。

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